
だから、幡野さんに相談したんだろう
こんにちは
ホロスコープアドバイザー・カレンです。
先日書いたこちらの記事
なんで幡野さんに相談したんだろうですが、
後日情報として
削除依頼してきたのが相談者とは別人だったことが判明したとのことでした。
つまり、嘘の削除依頼を信じて記事を削除してしまったんだって。
なぜわかったかというと
ご相談者さん本人から連絡が来たからだそう。
ちょっと〜〜〜めちゃくちゃじゃないですか。
そのため、上記記事の修正をし
ご相談者さんが削除依頼されたのではない
ということ加筆させていただきます。
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でもこの一連の流れで、
いろんな人のいろんな立場からいろんな考えや意見が上がっていました。
多くは「DV被害を訴えているのにそれを頭から否定するとは何事か!」
というお怒りだったんだけど、
私はそこだけがクローズアップされるのはちょっと違うように感じるのです。
たとえばね、
今回の相談が「人に信じてもらえない」というものだったら、
幡野さんの回答は的外れでもないのです。
あなたの伝え方では人によってはオーバーに捉えられる可能性もある
と指摘しているのですから。
これは実際問題、大事な話なんですよ。
相談の「伝え方」によっては内容を信じてもらえない可能性もある。
自分は「真実」を話しているけれども、
人によってはそれが大げさではないかと捉える人もいるということ。
こんなのは世の中あちこちに転がっている話です。
ただね、「伝え方」はむしろ問題ではないと私は考えます。
だって相手によっては冷静沈着に説明したって信じてもらえないどころか
門前払いされることだってあるのです。
だからある意味、
人に相談するというのは
それだけ相手を選ぶ目も試されるんですよね。
反対に、相談を受ける側としては、
相手が言っていることの揚げ足をとるのではなくて、
訴えたいことの「核」を見つけてあげる必要はあるはずです。
私には相談者さんがDVについて相談したいわけじゃなかったように読めたんですよ。
いろいろと書いてある中の「核」には
「自分を変える勇気をください」
というものが見えました。
だからこそ、幡野さんに相談したんじゃないかなと思うのです。
「なんで、僕に聞くんだろう」を購読していた私は、
今回の相談でとても残念だったのが、
その「核」に幡野さんが触れてくれなかったこと。
私も相談を受ける側の人間ですけど、
どんな相談でも「自分と向きあう」ところに導いていくのが大事だと考えています。
たぶん幡野さんに相談したい人も導いて欲しいんだと思うですよね。
自分には見えない視点に気づかせて欲しい。
だから幡野さんに相談したんでしょう。
書き方なんてどうでもいいんですよ。
相談者さんもそこが聞けずにがっかりだったんじゃないかな?
むしろこれを「DV問題の相談をしているのになんたることか!」
と傍観者が勝手に騒ぎ立てたのは余計なお世話なのです。
cakesにご相談者さんが
なぜ幡野さんに依頼したのかが書かれていましたので気になる方は読んでください。
私も幡野さんが彼女にどんな気づきを与えてあげられるのか気になります。
あと、前記事でご本人が削除依頼されたという情報を前提で
いろいろと書いてしまったことをお詫びいたします。
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