
【考察】断捨離は怖い!?手放すことはなぜこんなに怖いのかを考えてみた。
こんにちはカレンです。
昨日、断捨離についてまとめられないと書いたのですが、小出しにして少しずつまとめていきたいと思います。
最初は不要品を処分するつもりで始めました。どんどんいらないものが減っていくことが気持ちよくてすっきりしていくんですね。でもあるとき、アルバムの処分をしていたときからなんだか不思議な感覚、表すなら「怖い」に近い感覚が芽生えてきました。アルバムの処分が終わっても旅先で買った物、人からもらったもの。と向き合うたびに沸き起こるこの「怖さ」私が感じた虚無感はここからきているように感じました。
《断捨離は山を越えていく》
断捨離と不要品処分は違うとわかりました。
不要品処分は簡単に進むんです。「これイラネ」くらいの軽い気持ちで処分するのですっきりしていきます。
でもそこの山を越えていくと、断捨離が始まります。
私の断捨離の定義というのは「執着を手放す」ことにあると思っています。それは物だけではなくて、過去や人間関係なども含まれている感じです。
でも手放すのって怖いんですよ。なぜならしっかりと握っているから。
不要品処分と違うのはもう不要品はすでに手放しているものなんです。だから簡単に処分できるんですね。
問題はこの握りしめているものを手放す段階になったとき。もちろん全部手放す必要なないと思います。ただ、手放したいのに手放せないもの。これが問題なんですね。
《なぜ手放すのが怖いのか?》
断捨離をしていると湧き上がってくる「本当に手放していいの?」という心の声。本当の断捨離はこれが湧き上がってきてから始まると思いました。
なぜ手放すのが怖いのか、
- 今後それが必要になった時に後悔するのが嫌
- 私のアイデンティティがなくなってしまいそう
- 自分が生きて来た証が消えてしまいそう
1はこれは物理的に解決も可能だし、これはそれほど問題ではないかもしれません。
2、3は似ていますが、これでわかるのは、自分への自信のなさかもしれません。物や、過去、人間関係によって保たれてきた自分がそれらがなくなってしまうとあたかも自分さえもなくなってしまう恐怖。
人間の基本欲求の「生存欲求」と「社会的承認の欲求」がぐちゃっと混ざった感じ。
断捨離をしている最中の怖さは、自分を失うことの恐怖なのかもしれないと思いました。
《まとめ》
ちょっと重い記事になってしまってすみません。過去にも何回か断捨離だ〜と言って不要品処分をしていたのですが、今回はまったく別ものでした。
気軽に始めた断捨離がこんなに深いものだとは思ってみませんでした。
物、過去、人間関係=自分と思っていれば、たしかにそれがなくなったときに自分が消えてしまう感覚になりますよね。物も過去も人間関係も「自分」ではありません。
断捨離をしていて「自分を失う」という怖さは、これらへの執着が消えていくとなくなっていくのかもしれません。
ちなみに、昨日はグルメ記事だったのですが、断捨離と虚無感のワードを入れてみたらグーグルの検索で2ページ目に来てました。
そして断捨離してると襲う虚無感が私だけではなかったというのもわかってよかったです。
断捨離についてはまだ書きたいと思います。
お読みいただきありがとうございました。
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