幸せクラッシャーは誰にも止められない

幸せクラッシャーは誰にも止められない

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そろそろみんな飽きてきたかな?

と思える松居劇場。

そりゃ、いくら他人の不幸は蜜の味という人でもあれだけ強烈だと、

もうついていけないと思う。

それに、そんなにみんな暇じゃないでしょう。

といいつつ、

私は松居ウォッチャーとして気になったことを書きたいと思う。

 

 

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松居さんのような人を見ていると、

「不幸癖が身についてしまっている」とも思えなくもない。

日本語としてちょっと変かな?

つまり、

一見「幸せを求めている」ようにみえるけど、

いざその幸せが手に入ったら、とたんに自ら壊しにいく人のこと。

 

 

故人の話になるけれど、

宇多田ヒカルさんのお母様で、数年前に他界された藤圭子さんも同じような人だったみたい。

彼女も元々は貧乏な家庭で育ち、

いわゆる「薄幸な」人生だったそう。

藤さんにとってそれが自分のデフォルトの気質みたいなところがあって、

「私は不幸でいるのが当たり前」のような感覚があったのかもしれない。

 

皮肉にも藤さんが醸し出すその「薄幸」さが、

「圭子の夢は夜ひらく」という暗い曲のヒットにつながり、

そして、娘である宇多田ヒカルさんが歌手として大成功し、

藤さんにも大金が入ってきた。

が、そのお金をギャンブルにつぎ込んで湯水のごとく使ってしまったという。

と、大まかな説明になっちゃったけど、

何が言いたいかというと、

藤さんも、松居さんも「不幸な私」がデフォルトだから、

幸せな自分は自分じゃないと感じて、幸せを手に入れた途端壊していってしまう

「幸せクラッシャー」なんだと思う。

 

松居さんの場合、

以前の夫の借金を背負って完済したという、すごい半生を経験した上で、子連れで船越さんと結婚し、いろんなビジネスも広げていき、

幸せな結婚と、大きな富を得た。

ただ、

やっぱりこの人も不幸癖が身についているため、

「だって不幸がデフォルトなんですもの」と言わんばかりに

自ら幸せを壊しに行ってしまう。

 

このお二人の場合はお金も絡んでいるからちょっとえげつなく見えてしまうけれども、

実は自分にもその癖があるんじゃないかな?

と考えてみるのも大切なのかなと思った。

私は不幸癖が身についているとは到底言えないお気楽ゴンタな性格だと思うし、そもそも壊しにいくほどのエネルギーはない。

ただ不幸が当たり前というのとはちょっと違うけど、

自分にとって何が幸せというのがわかっていないと、

いくら仕事で大成功しても、素晴らしい人と結婚しても、大金が手に入っても

「これは私の幸せじゃない」として壊しにいってしまうのかもしれない。

 

ちょっと言いたいことがまとまらないけれども、

自ら築いた城を自ら壊していく城主には誰も近づきたくないでしょう。

だから誰にも「幸せクラッシャー」は止められないと思う。

 

 

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