
あいさつで生き残る
昨日
古牧 和都さんのブログを思い出した。
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いじめの問題も同じです。
私の知る限り、いじめられる子供は自己主張が弱く、
普段からのコミュニケーションが取れていません。
つまり、他人から見れば「理解できない物(現代の妖怪)」なのです。
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これ2007年の記事なんだけど、
今だったら文脈が読めずに
『いじめられる側が悪いみたい言うな〜!!』と
脊髄反射しちゃう人がいそうで怖いんだけど、
記事全体を読むと→いじめの原因は現代の妖怪?
なるほど、と思わざるを得ない。
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コロナ禍で日本て一億総”村社会”だったのが判明した。
とにかく「同質」に重きを置いて
ちょっとでも自分と異質ならば排除しようとする民族なんだろう。
結局、いじめはいけないと言いつつも
異質→理解できない→だからいじめられて当然だ
くらい思っている人が多数いるのかもしれない。
自己主張ができないと存在があやふやなので異質扱いされやすい。
ただ日本は逆に出る杭は打たれる場合もあるのでややこしい。
どっちにしてもコミュニケーション力が大事だということだ。
相手を理解し、自分も理解してもらう。
いや、理解までいくのはかなり上級かもしれない。
せめて、存在を知ってもらうくらいの
コミュニケーション力は持ってないと生き残れないだろう。
話は変わるけど
最近「あいさつ」をする機会が少なくなっているように思う。
オンライン化が進んだからか?
人間関係が希薄になっているからか?
あいさつはとにもかくにもコミュニケーションのとっかかりだ。
以前、”気”を教えてくれた先生が
「武道は最初の礼(あいさつ)で勝敗が決まる」
みたいなことを言っていた。
主導権をとるか?とられるか?ってことなのかもしれない。
あいさつとは気を出すこと。
つまり自己主張なのである。
挨拶の語源→出典こちら
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挨・・・押す。(心を開く)
拶・・・迫る。(心に近づく)
「押す」と「迫る」で押し合うという意味合いになります。
これを要約してみると自分の心を開いて、相手の心に近づいていく。
挨拶する側は心を開き、された側も心を開く。
お互いが心を開いて近づいていき、
人間関係を築いていく第一歩にしていくという意味になるか
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コミュニケーション力がない人は
まずあいさつから始めてみるといいかもしれない。
当たり前すぎるけどほとんどの人ができてないから。
だからこそ意味はあるはずだ。
つまるところ、
あいさつは生き残るための最強のコミュニケーションツールなのだろう。
では!
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