
死生観は共有できない
普通に生きていれば「死」について
あまり考えることはないかもしれませんが、
こういう状況なので、
水面下で死生観のぶつかりあいが起きているような感じがしています。
死生観とは
生きることと死ぬことに対する考え方、
または判断や行動の基盤となる生死に関する考えのことです。
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私の場合は、
身内や親しみがある人が亡くなってしまうのはもちろん悲しいですし、
自身が死ぬことも怖いからできればある程度まで長生きはしたいと思っています。
天国や地獄はあってもなくてもどうでもいいですが、
来世があればいいな程度の死生観はある感じです。
ただ、いずれにしてもどんな形であれ、
子供だろうが年寄りだろうが
「命あるものは必ず死ぬ」という半ば諦めのような感覚も持っています。
でもね、
これって他人伝える必要はないし、
ましてや押し付ける価値観でもない。
自分の中だけで収めておけばいいことです。
(自己レスしますけど、一方通行の自分語りの場合は表現ですのでもちろん良いと思います。)
たとえば有名人の誰かが亡くなった時に
SNSやネットなんかで
「寿命だったんですね」みたいなコメントに対して
「じゃあ、死んでも良かったっていうんですか!キ〜〜〜〜!」
ってお前誰だよ、
みたいな人が感情露わにしてる死生観バトルをたまに見かけるんですけど、
そんなこと言い合ったって何にも意味がないわけです。
志村けんさんが亡くなった時も、
多くの人がすぐに受け入れることができなかったと思うんですけど、
それでも
天国で長さんに「なんでお前が先に来ちまったんだよ」って
怒れられてそうってちょっとクスってしちゃったり、
いっぱい笑わせてくれてありがとうと感謝の気持ちが湧いてきたり、
ずっと悲しみから抜けきれなかったとか、
人それぞれ「死生観」が違うので
どんな風に受け止めたっていいはずなんですよね。
ただ厄介なのが、
こういう時に勝っちゃうのはどうしたって
「はぐれ刑事純情派」なんですよ。(←情を使いたかっただけ)
感情が強い方がめっちゃ有利になっちゃう。
占星術でいうとこの「キ〜〜〜〜!」は、
月と火星的な生命エネルギーなので強いんです。
だから無駄に戦わない方がいい場合もあります。
死生観というのは誰とも共有はできない。
それはたとえ家族でもパートナーでも子供でもそう。
ただ、共有はできないだけであって、
家族や、話し合える友人や仲間同志でしたら
「死生観」について語りあうことは大切だと思います。
公の場では自分の中に収めておけばいいこととして、
特に今のようにみんながセンシティブになっている時は
無駄なバトルにならないように気をつけた方がいいですね。
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