
ゴッシップは切ない片思い
年末年始はテレビを見る生活をしていたのですが、
やはり精神衛生上よくないなと感じて、
再びテレビ禁の生活に戻しました。
SNS(Facebook)もやめてしまったので、
目や耳に入ってくる情報が少ない日々です。
そうやって、過剰な情報から離れて感じるのは
世の中は
ゴシップで溢れているということ。
特に昨年は芸能人らのゴシップでワイドショーももちきりでした。
人間てこのゴシップが好きみたいで
芸能人だけじゃなくて
日常でも「誰々さんが〜なんだって」というゴシップで盛り上がりますもんね。
それだけ人はこのゴシップが美味しくて仕方ないのかもしれません。
ゴシップはネガティブ
ゴシップって
それこそ他人を自分の世界に勝手に引きづり混んできて
あ〜でもないこ〜でもないっていうだけ。
あまりポジティブな気持ちがしませんし、
やっぱりネガティブですよね。
ネガティブなものはネガティブなものしか生み出しません。
そもそも意味がないし時間ももったいないし、
そして何より悲愴感があります。
なぜかというと、
おそらく99%そのゴシップネタの人は
話している本人のことなんて1ミクロンも考えていません。
自分は相手のことで自分の頭が埋め尽くされている状態。
だからゴシップは切ない片思いだと思うのです。
たとえば身近な人との会話でも
「旦那が・・・」
「子供が・・・」
「上司が・・・」
「親が・・・」
「友達が・・・」
「恋人が・・・」
などなど
自分の話をするようにしていても、
実は他人の話ばかりしている人がいます。
自分の世界に他人を引きづり混んでくるのは、
自分の人生を他人に占領されているということになります。
これも切ない片思いと同じです。
ゴシップと他人の話題との違い
他人が会話の話題に出ることはもちろんあります。
それが
楽しい話題だったり、
明るいネタだったり、
時事情報だったりなら
そこに悲壮感はないでしょう。
それらはゴシップに当たらないと思います。
尊敬の気持ちやポジティブ性のあるものは、
切ない片思いではなくて、
一種の応援団やファンのような感覚と捉えてもいいかもしれません。
まとめ
人生の貴重な時間を自分のために使えるのって本当に限られています。
その貴重な時間を他人のゴシップで占められていくのって
とってももったいないです。
他人で自分の人生をいっぱいにしている時間は無駄だということ、
それを心に留めておかないと
自分の人生なのに他人に埋め尽くされてしまいます。
ふと気付いた時に自分の中心にいるのは自分なのか?他人なのか?
というのを意識してみるとゴシップ人生は徐々に減っていくでしょう。
どうせなら他人への切ない片思いじゃなくて一生自分と両思いの方が、
人生の質がぐっと上がるのではないでしょうか。
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