ベッキー騒動から続く「人は自分の勝手なイメージで人を裁くということについて」 その2

ベッキー騒動から続く「人は自分の勝手なイメージで人を裁くということについて」 その2

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どうもおはようございます。

カレンです。

昨日の記事の続き。

ベッキー騒動から続く「人は自分の勝手なイメージで人を裁くということについて」 その1

落とし所までもっていけるかどうか不安ですが、

なんとか書いてみます。

 

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倫理観については社会的な建前はありますが

個人の思想まで落としていくと千差万別。

それでもテレビや、マスコミという他人が介在するフィルターがかかると、

人というものはどうしてもそれに影響されやすい。

そしてさらに自分のフィルターを通して見るから他人の本質的なものなんて見えるわけがない。

 

人のイメージを固定化して、

それに対してギャップが起きると軽く「パニック」な状態になっちゃうんです。

「え〜〜〜思ってた人と違う〜」と。

 

これはベッキーや乙武さんみたいに有名人の話になると大きく拡大されたようになるけど、

身近でも日常的に起きていることです。

 

私は思い込みが激しい方なので、

しょっちゅうそんな感じのことをやっているのですが、

他人をジャッジしていると、

自分の軸がぶれぶれになっていって結局自分が振り回されてしまう。

これってなんだか無駄にエネルギーを消費しません???

 

ちょっと大げさにいうと、

自分勝手に他人にイメージを持ってそういう人じゃなかったから失望

は疲れるんです。

 

この多様性のある時代、

人のイメージを固定してしまうのはどうも流れにもあっていないと思うし、

ましてや、複雑な人間に対してそんなことができるはずがないんですよね。

 

結論として、

「人は多面的」

ここを押さえておくと他人への許容が出てくるし

自分の見ていた角度とは違う他人の新たな一面をみることの喜びにもつながるのかもしれません。

「あ、こんな面もあったんだ」ってね。

 

ということで、まとまったかな?

また

個人的にベッキーと乙武さんのことについてはまったく違うことのようにも感じています。

まだ言葉にできないのでそれはまた今度。

 

よい日曜日を!

 

 

 

 

 

 

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